辛く甘い思い出の地。

 ――― どんな姿になろうと、必ず幸せにしてやらなければ… ―――

 

はじめに
DDS的お茶の水マップ
追記事項有り。国際サマルカンド病院
ニコライ堂
神田川・聖橋
千代田区神田○丁目
お茶の水へ行こう!

 

はじめに

 「お茶の水」は神田川を挟む湯島と神田駿河台の両岸一帯の通称であり、駅名や、橋、学校名でよく目にはするが、実は地図にはない地名である。
名前の由来は、時の将軍(家康とも家忠とも)この辺りの涌き水が素晴らしいということで、お茶の水に献上させたこからそう呼ばれるようになったようである。
現在はもう名水の湧いていた場所はなくなっているが、お茶の水という地名は通称として人々にいまだ親しまれている。

 お茶の水はデジタル・デビル・ストーリー3転生の終焉にて、セトとの死闘より帰還した朱実と弓子が静養の為に滞在した病院のあった場所である。
彼らの甘く、切なく、そしてあまりに短い平安を過ごした地、お茶の水を探検してみた。

 


 

DDS的お茶の水マップ

■デジタル・デビル・ストーリー式お茶の水周辺地図
東京駅方面↓

赤字=実在の地名、施設名
緑字=実在の駅名
黄字=DDS内の架空の地名、施設名
 ※ゼ●リン地図をトレースしたので、縮尺などはほぼ正確である。
=湯島と神田駿河台の境界線

 


 

国際サマルカンド病院(追加画像有り)

 地図を見るとわかるのだが、お茶の水周辺には病院と学校が多い。
しかしサマルカンド病院のモデルを探すのには、実はそんなに苦労する事はない。

神田川の対岸にニコライ堂を見る位置に、国際サマルカンド病院はあった。

『デジタル・デビル・ストーリー 転生の終焉』の文章中にこうある。
ニコライ堂は神田駿河台側にある実在の教会であるので、サマルカンド病院は湯島側にあることがわかる。
神田川河岸、湯島側にある病院は、東京医科歯科大学附属病院と順天堂医院である。
尚どちらの病院前からも、2003年現在であるが、地上にいる限り高層のビルで遮られニコライ堂は見えない。4階まで上がれば見えるのだろうか。

 さらに地図には東西南北に合わせ、飛鳥の方向を加えてみた。
夢魔の攻撃に疲れ、夢の中でイザナミのメッセージ(もしくはルシファーの策略か)を受けた弓子が飛鳥行きを中島にねだるシーンがあるが、神田川に面する病室ならば丁度対岸方向を指さすことになるだろう。

東京医科歯科大学附属病院 聖橋で神田川を神田駿河台側から湯島側に渡る最中から早速左手に神田川に臨む高層の病院群が目に飛び込んでくる。
このどちらか、もしくはどちらもが国際サマルカンド病院のモデルとなったことは疑いようもない。

(左:東京医科歯科大学附属病院)
順天堂医院

(右:順天堂医院)

知名度からすると、多くの有名人が入院したことで名を知られる順天堂医院。
私的にもこちらの近代的な外見の方がイメージ通りなのであるが、実際歩いた感じからしてニコライ堂から順天堂医院までは少々距離があるように思われる為、附属病院の方が有力そうだ。
更に訪れた季節が3月だったので確認が難しかったのだが、付属病院の脇には大きな銀杏並木があるようだ。
ちなみに「治外法権を有すCIAの牙城」かどうかは不明(笑)。

2003年11月29日撮影。

銀杏の木が黄金に色づく頃の付属病院。しかも雨天。
手前の橋は神田橋。
まさにこの窓際に病室があれば飛鳥の方向も正面だ。


 

追記事項有り。 ニコライ堂(追記事項有り)

 DDSの中でニコライ堂は場所を特定する為だけに登場し、物語の舞台になることはない・・・と思っていたが実は直接的にではないが密かに関係大有りであった。
『新デジタル・デビル・ストーリー1 捕われの女神』に新築された新しい十聖高校の校舎の様子がある。

神田のハリスト正教会をモデルにして建てられたという、新しい十聖高校の校舎は、中央に丸屋根の講堂を配し、両側を赤いレンガ外装の四階建ての学舎で
挟む構造になっていた。

ニコライ堂。 ニコライ堂は正式名称を「日本ハリスト正教会教団復活大聖堂」や「東京復活大聖堂(教会発行のリーフレットにはこうある)」といい、1872(明治5)年東京に日本ハリストス(キリスト)正教会を設立したギリシア正教会大主教イワン=デミトロヴィチ=カサーツキン(修道名=ニコライ)の名に由来している。
1884〜1891(明治17〜24)年にかけて建設された。
関東大震災で一度崩壊し、現在の形になったのが1929(昭和4)年。1962年に国の重要文化財に指定されている。

 というわけで、十聖高校の新講堂はここをモデルにしたと思われる。
この上品な外観。礼子嬢などは「あら明日香さん、ごきげんよう」とか言い出しそうな勢いだ。

 東京のビルのさなかにあらわれるクラシックな建物は一見してみる価値はあるだろう。
現在も通常の教会として機能しており、中には無料で入ることができる(2003年3月現在)。


 

神田川・聖橋

聖橋。 神田川は三鷹市井の頭池を水源とし、隅田川にそそぐ総延長25.48Kmの一級河川である。二代将軍徳川秀忠の時代に神田上水が整備され飲料水の供給の他、物資の運搬などにも大きな役割をはたしていた。
河川名は、現在の駿河台付近が神田山と呼ばれていたことに由来する。

 その神田川にかかる橋の一つが聖橋である。関東大震災後の帝都復興事業の一環として、1927(昭和2)年に完成され、湯島側の湯島聖堂と駿河台側のニコライ聖堂を結んでいることから、聖橋と名づけられた。
 ニコライ堂とともにしばし日本にいることを忘れてしまいそうな西洋建築物だ。
尚、画像右下の聖橋のたもとがJR御茶ノ水駅である。

DDSにおける登場シーンに付いては次項「千代田区神田○丁目」で語ろう。

雨の神田川。

神田川の水面に、無数の波紋が生まれては消えていく。
(転生の終焉 P114より)

 


 

千代田区神田○丁目

国際サマルカンド病院前? さて、DDSにおける神田川と聖橋であるが、『転生の終焉』にて中島が国際サマルカンド病院での平安を捨て、弓子の願いを叶えようと飛鳥へ旅立とうとするシーンで主に登場する。

 10月14日。
中島と弓子を乗せたタクシーは、聖セイレーン教団率いる狂信者達に襲われ、弓子を冒涜された中島は一般人である信者をカグツチの剣で斬り捨ててしまう。
中島は獄中の人となり、この日を最後に残酷な結末を迎えるまで中島と弓子は触れ合うことさえ許されなくなってしまうのである。

 「千代田区神田○丁目」は、中島に対して開かれた特別法廷の起訴状に記された殺人現場の住所だ。
実際の地図には「神田」という地名はなく、「神田○○」や「○神田」などなにかしらついている。
お茶の水界隈で神田といえば神田駿河台となるだろう。
では、現場のモデルとなった場所を検証してみよう。

  1. 中島はタクシー運転手に東京駅へ向かうよう指示している。
  2. 中島一行のタクシーは湯島側からスタートし、セイレーンの一行は対岸側から進行している。
  3. タクシーが正門を出て間もなく襲われている。
  4. 事件直後、セイレーン教団幹部猿渡は現場に背を向けニコライ堂方面に聖橋を歩く途中、橋から転落死している。

 東京駅へ行くには地図で示した方角がらすると、まず神田川を渡らなければならない。
タクシー運転手がとるべき経路は限られてくる。
回り道をしない限り神田橋を渡るか、聖橋を渡るか、とりあえず神田川に沿って東に向かうかのいずれかであろう。
神田川対岸から進行する教団一行と遭遇するには回り道などしてはいけない。

 次に、事件直後猿渡が「現場を背に」聖橋を渡っていることから神田橋方面は候補から外す。
残った経路上「神田」の名前を冠する場所はで示した通りであるが、そもそも架空の地名であるからして、現場はで示した一帯のどこかであると思われる。

 個人的にはタクシーで橋を渡った記述は無い為、神田ではないが聖橋の湯島側の交差点あたりではないかと思う。丁度広くなっているし。

10月14日。

10月14日。
国際サマルカンド病院の正面玄関に立った中島と弓子の頭上には、
鱗雲をちりばめた抜けるような秋の空が広がっていた。
(『転生の終焉』 P118より)

 


 

DDS的ロケーションマップ

ロケーションマップ

※オレンジの●は撮影地点である。アルファベットの有るものは画像加工作品。
撮影は2003年3月。
サマルカンド病院一番下の写真だけ2003年11月。

A 神田川
ロケ地 神田川

B 附属病院前
ロケ地 附属病院前

C 聖橋と附属病院
ロケ地 聖橋

 


お茶の水へ行こう!

 お茶の水にはニコライ堂、聖橋以外にも、湯島聖堂、神田明神など見所は多い。
都会のさなかにて緑多い神田川沿いなどは格好の散策コースである。
アクセスも、JR、営団地下鉄(千代田線と丸の内線)と選択肢は多い。ちなみに東に行けば、歩いて行ける距離ですぐに秋葉原である。
なかなかお茶の水にだけ行く機会は少ないと思う。何かのついでにちょっと足を伸ばしてみてはいかがだろう?

千代田区観光協会ホームページ
http://www.kanko-chiyoda.jp/index.html

 お茶の水だけでなく、千代田区内の名所案内、散歩コース、飲食店、ショッピング、宿泊施設案内など。

 
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